一貫性がなくてもいいじゃない。

生き方
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私は息苦しさを感じている。

生き方、風潮に対して。

 

 

私たちは商品を買う時も、

人と話す時も

筋が通っているかを気にしすぎている気がする。

 

誰かのシミが消えた口コミがあるから、

このクリーム買ってみようとか

 

 

自分が和食を好きと言った手前

このメニュー頼まないと

お店選びをしてくれた友人に

悪いなとか

 

 

その延長に就職面接がある。

「こういう思いで今まで仕事を選んできました。だから御社でも~」

 

ちまたの就職面接対策本でもセミナーでも、

 

理由に筋が通っているかを確認しようとか、

 

志望動機に繋がるエピソードはないか、とかばかり

 

本当うんざりするくらい同じことが書かれている

 

 

しかしその全部が嫌だと思っているわけでは決してないし、

 

私もそのレールに沿ってここまで生きてきた。

 

 

 

私が信頼出来るなって思う人は発言がブレないって思うことが多いし、

 

大量の口コミをみて商品を買う

 

そのおかげもあって、商品を買って失敗したと思うことは少ないし

 

一貫性を意識しているおかげで

 

面接という面接で落とされた経験がない

 

じゃあ一貫性さまさまなんじゃないの?

 

 

別に息苦しさを感じる必要はないじゃない

 

って思うのだけど

 

気持ちって不思議なもので、一度不快だと思ったらどうしても消えない

 

じゃあ一体何が不満なのか。

 

社会人になってからずっと言語化できなかったのだけど、最近やっとわかった。

 

それは

 

生き方全てにまでそれを求められると苦しい

 

ということ

 

面接で後付けされたエピソードや思いをさも本当に当時思っていたかのように発言する

こういうことはいわゆる普通だ

 

そんな嘘、犯罪だ!なんていう人は就職する必要がなく生活できた人だけだと思うし

みんなが生きる為に必死だからこそ生まれる偽り。建前。

 

何かを始める時に本心で

 

しっかりとした理由を持って始められる人はどのくらいいるのだろう。

 

たぶん売れっ子ユーチューバーになれるくらい少ないと思う。

 

子供の頃、大人にこんな風に聞いたことがある。

 

「なんで今の仕事選んだの?」

「なんとなく」

 

納得する理由が出てきた回答は一つもなくてガッカリしたことがある。

 

でもそれは間違っていた。

人のやりたいことに理由なんていらない

 

 

ただ心が動いたそれだけ

 

それで十分なのだ。

 

 

それなのに、大人は理由(建前)を求める。

 

 

これが私の息苦しさの原因だった。

 

 

なぜ自分の人生を誰かに納得させなければいけないのだろうか。

 

 

私のこういう長所を生かして、

 

今ここで働いてみたいと思った。

 

それだけではなぜだめなのか。

 

そんなことを言っていると

じゃああなたはこれから理由の後付けをしないのかといわれると、

そんなことはない。

 

 

こんなことを書いている私もきっと誰かとまた働くときには必死で理由を考えていると思う。

 

それが今の社会だと思うし、無理に逆らう必要性も感じない。

 

でもこの息苦しさを少しでも感じない社会を作っていきたい。

 

いいや、そんな夢は厚かましすぎかも。

 

 

ほんのちょっとのびのび生きられる人が増えるような文章を書いていきたいと思っている。

生き方
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